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荻野会計事務所の代表社員荻野由章です。
令和5年に亡くなった父の後を継ぎ代表となりました。荻野会計事務所は現在税理士法人ですが、父が個人事務所として開業してからは創業60年になります。
これだけの長い間続けてこれたのはひとえにクライアントの皆様のご支援・ご愛顧によるものと事務所スタッフのおかげだと日々感謝しております。
また、荻野会計事務所が創業依頼続けてきているクライアント様及び事務所スタッフとは「家族的情味をもって接し共存共栄する」、「節税は〇、脱税は✕」、「納税者の権利を守る」といった姿勢もこれに欠かせないものだと考えます。
携わる皆様に「荻野会計で良かった」と言っていただけるような事務所になるよう研究・研鑽を重ね、税理士としての使命を果たしていく所存です。
荻野会計事務所では、
“クライアントとは
家族的情味を持って接し、
共存共栄を目指す”
ことを経営方針のトップに
置いています。
荻野弘康前所長は、高校(都立第三商業高校)1年の時に全国高校簿記コンクールで優勝しています。そもそも、商業高校に入学したのは中学生の時に好きなソロバンで1級に合格していたことがきっかけ。
驚くべきは、大学進学の学費を稼ぐため高校1年にして塾長として自宅の8畳間でソロバン塾を開いたこと。月謝は150円で生徒が63人集まり、その合計は当時の担任の給与にほぼ匹敵。中央大学に進学後は生徒が500人に膨れ上がり月謝も500円になっていたことから、収入は月25万円、年間300万円にもなりました。その時、中央大学の授業料は年2万円。父親の給与は3万8千円なので父親の給与の7人分稼いだことになります。
前所長は「ハート」を大事にしていました。機械的な数字だけでなくそこに関わっている人間のことを知らなければいけないといいます。これが経営方針である家族的情味につながりますが、データやインターネットなどを軽く見ているわけではありません。
そもそも前所長は、昭和59年12月にテープカットした税法データベースのTAINSの初代委員長でした。TAINSにアクセスすれば税法の判例などがキーワードをもとに検索しダウンロードできる当時としては画期的なもので、日弁連のコンピュータ委員会のメンバーがデータベースの作り方について教えを請いにきたほど。
税法データベースに着目したのは、税務署と納税者との間で課税の取扱いで解釈の違いが出た場合、参考となる判例を探すのに、苦労していたから。その後は、かつての、そろばん・簿記から、コンピュータ・情報の世界に踏み込みトップランナーとしてリードしてきました。
ただし、税法データベースの開発には当時の費用で3億円もの予算が必要だったことから批判もあったと当時の苦労を語ります。
前所長は、実際の税務行政は通達中心で動いているが、通達はあくまで行政内部での税法解釈であり、憲法から委任された税法に従って、納税者の権利を守ることが大事で、通達ありきではないと話します。このため税務当局と争うこともありますが、仲が悪くて争うのではなく、不合理な通達は、税の専門家である税理士が指摘しなければならないことから争うとの考えでした。
事務所があるのは住宅地の一角。普通でしたらこのような住宅地で事務所を開いていても成り立たずお客さんは来ません。ただし、この場所で延べ5千人にそろばんを教えたことが縁となって、その生徒が経営者になってからも、「先生」と慕って事務所を利用してくれていました。
事務所の営業はしたことがなく、奥さんからは、もっと仕事をしなさいと怒られていました。もっとも前所長はセールスが下手ですが、その分、クライアントがクライアントを紹介してくれます。お客さんが営業部長をしてくれるわけです。
顧問先企業が立ち上げた頃、苦しい状況を見て報酬をもらわなかったところ、その後、成長した企業が感謝して報酬の値上げを申し出ることがあったそうです。これも前所長の言うハートがなせる結果のようで、クライアントの信頼につながりました。
令和5年7月26日 87歳にて 逝去